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「都市と田舎 ゲームのルールを変えてみよう」

20世紀の都市は田舎を収奪して成立していということが、今回の3.11で良くわかりました。フクシマがなぜ東京から220km離れたところにあるのか。野菜はどこから来ていたのか良くわかります。家族という視点からも、田舎は都市に収奪されてきたといえます。かつては、都市に労働力を提供し、あるいは都市にでていった兄弟姉妹を田舎の家族がささえた時代もありました。20世紀に開発され支配した社会システムは都市を優位にするシステムであったから、地方が減衰するのはしようがないように思えます。ゲームのルールを変えて田舎が優位である社会システムを構想することはできないでしょうか。または都市と田舎が対等である社会システムは構想できないでしょうか。そこに未来の希望があるように思えるのです。


北山恒先生からのメッセージ

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 「アーバニズム」、すなわち「都市計画」とは、遅くとも西洋ではギリシア・ローマに、東洋では長安の都にあったと思われがちだが、その概念は実はイルデフォンス・セルダ(バルセロナの都市計画者)の著した『都市化の一般理論』(1867)に初めて登場する。それまでは、美しい造形として都市をつくるのは建築家の仕事であり、都市の防備を固めるのは軍事技師の仕事だった。これに対して、セルダは市民社会の諸問題に対処するために都市を計画しようとした最初の都市計画家だった。『都市化の一般理論』の表紙には「都市を田舎化し、田舎を都市化せよ」と書かれている。(岡部明子「バルセロナ」)

 20世紀に入るまで、ヨーロッパでは、エベネザー・ハワードの『明日の田園都市』(1902)で示されるように都市と田舎の共存が図られていた。しかし第一次世界大戦後の急激な都市人口の増加と自動車の普及によって、都市の目指すべきビジョンは大きく変更される。そこでは、大量の都市労働者を収容し、効率よく経済活動の行える都市が構想される。人々は都市近郊の専用住宅地に住み、都市中心部にある業務地区との往復運動を行うというライフスタイルがあたりまえとなるのである。ル・コルビュジエの『ユルバニスム』(1925)にその工程が克明に記述され、アテネ憲章(1933)によって都市の姿が決定される。20世紀は資本主義による都市化の時代であった。生産と消費の場として都市に優位性が与えられ、その対称として田舎は減衰した。
 ローマクラブの『成長の限界』(1972)で、この20世紀パラダイムの有限性が示されていたのだが、それをリアルなものとして認識するようになったのは近年である。セルダの「都市を田舎化し、田舎を都市化せよ」というマニフェストを再考してみよう。人類の歴史の中で20世紀という時代だけが特異な社会をつくっていたのかもしれない。新しい社会はこの20世紀の時代を切断するものとして姿を現すのかも知れない。『ユルバニスム』の終章に書かれている「われわれは、革命をすることによって革命をするのではなく、解決することによって革命をするのだ」とするコルビュジエと同じ精神で未来を描いてみたい。

参考図書
『ユルバニスム』 ル・コルビュジエ
『コミュニティを問いなおす』 広井良典


篠原聡子先生からのメッセージ

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 人は日常を支える多様なネットワークの中で生きている。家族もそのひとつだが、小さくなった家族は人の一生を支えるにはもはや不完全なものである。今回の大地震でも、目の当りにしたように、それを補い支えるコミュニティのあり方が今、問われている。田舎と都市の問題をこのコミュニティの視点から考えてみるどんな課題が見えてくるだろうか。

 戦後日本では、田舎の労働力が都市へと移動することで産業の構造が大きくかわり、高度経済成長を成し遂げたが、家族社会学の落合恵美子が言うように、都市の個人や小さな家族は、田舎の大きな家族やコミュニティによって支えられていたという側面を忘れるわけにはいかない。しかし、人口の移動や産業構造の変化によって、田舎の家族もコミュニティも弱体化し、かつてのような機能を期待することはもはやできない。田舎は都市に搾取されたとも言える。
 一方で、ジェーン・ジェコブスは、その著作「都市の原理」の中で、「田舎は都市よっつくられる」と言っている。実際、田舎の農産物や工芸品は、都市での消費を前提とし、都市の大企業によって生産された機械によって農業は成り立っている。実のところ、今でさえ、田舎と都市は緊密な関係の上に相互依存しているのである。しかし、コミュニティや人のネットワークという視点でみたとき、その関係は非常に見えにくい。人によって移動していたモノや情報が、人の移動、モノの流通、情報の伝達がそれぞれ分断されることによって、それらを介してつながっていたコミュニティは孤立しつつある。とくに田舎は都市のバックヤードのようで、都市生活者しばしば田舎の存在を忘れている。福島の原発によって、東京の電力が賄われていたことを失念していたように。

 地域共同体のような場所に帰属するコミュニティには、閉鎖的で排他的なイメージがつきまとうが、実は外部があってのコミュニティであり、外部との連携の中でこそ持続が可能なのである。そんな視点から、田舎と都市の新しい双方向な関係をリ・デザインできないかを考えてみたい。

参考図書
『コミュニティを問いなおす』 広井良典
『21世紀家族へ』 落合恵美子
『都市の原理』 ジェーン・ジェコブス

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